毎年1月3日に「初大師 だるま市」を開催

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境内に入って、まずは本堂に手を合わせます。天台宗のお寺であるため、天台密教の教理に基づいた護摩修業も申し込めます。護摩修業では、煩悩を焼き浄め、大厄を祓い、家内安全、商売繁盛、心願成就などを祈願できます。車の安全祈願も行っているそうです。

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本堂の中には、お札やお守りも並んでいます。

「初詣は真夜中の除夜から始まります。夜中の12時から深夜2時まで除夜参拝をお受けします。大勢の方がお見えになり、露天商さんも出ますから、みなさん賑やかにお参りされております。深夜2時に一度閉めて、次は1月1日の朝7時から元日のご参拝が始まります。3日間で約30万人ほどの方がお参りに来られます」とご住職の塩入秀知(しおいり しゅうち)さん。

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喜多院で一番の名物は、例年1月3日に行われる「初大師 だるま市」です。
1月3日は、天台宗の慈恵大師さんの御命日となっています。慈恵大師さんは、約1,000年前の立派なお坊さんで、さまざまな奇跡を起こしたという伝説が多く残っています。
この「初大師 だるま市」の日は、参道から境内まで、50店舗以上もの「だるま屋」さんがずらりと並ぶとあって、とても賑やかになるそうです。

塩入ご住職にだるまさんの願掛けの方法を教わりました。
「喜多院では、願掛けをしてだるまさんをお家に迎えたら、まずは左から先に目を入れます。1年が終わって無事に過ごすことができたら、右目にいれましょう。1年を待たずに願いが叶えば目をいれても良いですよ」

家光公のはからいで、江戸城の御殿を移築

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平安時代初期の西暦830年頃に創建された「川越大師 喜多院」では、長い歴史のなかで、さまざまな物語が紡がれてきました。鎌倉時代には現在の大学のように宗派問わず全国からお坊さんが訪れ、勉強修業を行っていました。戦国時代には世相が変わり、寺院が燃えたり、建て直したりを繰り返す戦乱に巻き込まれます。その後、江戸初期に天海さんというお坊さんが入り、住職になりました。

この天海さんは、徳川家と共に江戸のまちづくりの一端を担った人物。戦国時代で疲れ果てた人々の心を癒すため、上野公園に桜を植えお花見ができる場所を設け、池を琵琶湖に見立てて小京都のような景観をつくりました。今でも天海さんが生み出した町並みを現代の人々が楽しんでいると思うと、そのスケールの大きさと偉大さに驚かされます。

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※客殿内は一般撮影不可となっております。

1638年に札ノ辻あたりで火が上がり、その火が町中に広がるという「川越大火」が起きてしまいます。その際に、家康公が建てたお堂も燃えてしまったそう。その頃には、家康公は亡くなっていましたが、三代目の家光公は天海さんのことを慕っていました。「『老僧のお寺が燃えてしまったので、すぐ再建しましょう』と、家光公の命令で、自身が使っていた江戸城の御殿を船を使い材木をのせて運び、ここで組み立てたんです」と塩入ご住職。

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客殿は有料で見学可能です(大人400円、小人200円)。家光公の「誕生の間」、春日の局が使用していた「化粧の間」を見ることができます。どちらも国指定重要文化財に指定されている貴重な建物。この時代の徳川家の御殿は、江戸城にも残っていないため、大変貴重だそうです。

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境内でお団子屋さんを見つけたので、参拝帰りにいただくことに。この日は菊祭りが開催されていました。春になり、70~80本の桜が見ごろを迎えると、レジャーシートを敷いてお花見をする人々で賑わうそうです。自由にお花見を楽しめるとは、多くの人が明るい気持ちになってほしいと願った天海さんの想いが、伝わってくるようです。

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徳川幕府と深いつながりがあり、スケールの大きなまちづくりを行った天海さんとゆかりのある「川越大師 喜多院」。参拝すれば清々しく気持ちになり、良い運気を呼び込めそうな気がしました。初詣に訪れたら、ぜひ名物の「だるま」に願いをかけてみてはいかがでしょう。