白い鳥居をくぐり寳登山神社へ
「長瀞駅」を出て、宝登山方面へ歩いていくと、まず目に入るのが大きな白い一の鳥居。鳥居をくぐり、宝登山へと続く参道を10分ほど歩くと「寳登山神社」に到着します。
境内の入口で参拝者を迎えるのが、白地に金色の装飾が施された「二の鳥居」です。秩父地方に見られる白い鳥居には、石灰岩で知られる武甲山や、かつて御影石が貴重だったことが関係しているのだそう。
今回、境内を案内してくださったのは、寳登山神社の権禰宜・岩田悠太郎さんです。
秩父市出身の岩田さんは、ご実家も神社で、子どもの頃から「いつか宝登山で勤められたら」という思いがあったそうです。地元で仕事を探していたところ、縁あって寳登山神社に奉職することになりました。
日本武尊の伝承から始まった寳登山神社
寳登山神社の始まりは、今からおよそ1900年前にさかのぼります。
社伝によると、第12代景行天皇の皇子・日本武尊が東国平定の帰途、この地を訪れたそうです。宝登山へ登る前、一行が身を清めたとされるのが、現在も境内に残る「みそぎの泉」です。
「この泉は日照りが続いても、大雨が降っても、水位がほとんど変わらないんです。基本的に人の手も加えていません」と岩田さん。
日本武尊一行が山を登る途中、突然の山火事に遭遇。すると山犬が現れて火を食い止め、一行を山頂まで導いたと伝えられています。
日本武尊は、この山犬を山の神が遣わしたものと考え、そのお力に感謝して宝登山の山頂に神々を祀りました。これが寳登山神社の始まりとされています。
現在の御社殿が建てられたのは、江戸時代末から明治時代にかけてのこと。当時は神社と寺院が一体となって信仰を支えており、宝登山にあった寺院「玉泉寺」の住職・榮乗(えいじょう)が社殿の再建に取り組みました。1845年に計画を始め、1871年に本殿、1874年に拝殿が完成。実に29年もの歳月をかけた大事業だったそうです。
御社殿を訪れたら、色鮮やかな彫刻にも注目してみましょう。
「御社殿を正面に見て、西と東に『二十四孝』の彫刻があります。中国に伝わる24の親孝行の話を表したもので、それぞれ違う物語が彫られています」と岩田さん。
長年の雨風でほとんど木地の状態になっていた彫刻は、御鎮座1900年を記念して2010年に行われた改修事業で鮮やかに復元されました。
御本殿の裏手にも、ぜひ探してみたい彫刻があります。屋根の下にある三角形の妻部分に施されているのが、鯉が滝を登って龍になる故事にちなむ「登竜門」の彫刻。立身出世や願いの成就につながる縁起のよい意匠です。
この登竜門をモチーフにしたのが、黒いお守り「吉祥寳守(きっしょうたからまもり)」です。本殿裏軒下の登竜門の彫刻があしらわれ、「祈り=鯉」が「成就=龍」するようにとの願いが込められています。
「皆さんにとっての『宝』は、財産やご家族など、それぞれ違います。その宝がますます『宝の山』になるように、という意味が込められています」と岩田さんは話します。
このほかにも、授与所にはさまざまなお守りや授与品が並びます。金運・開運を願う「御福銭」もそのひとつです。
境内のお宮や宝登山山頂の奥宮にもお参りを
境内にある「宝玉稲荷神社(ほうぎょくいなりじんじゃ)」は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を祀るお宮。毎月15日には、あずき飯を炊いて神域にお供えする「お炊き上げ祭」が行われています。
奥宮があるのは宝登山山頂。ロープウェイを利用して山頂へ向かうことができます。日本武尊が神霊を祀ったと伝わるゆかりの地近辺に鎮座し、御本社の創建伝承を今に伝える場所です。
毎年5月2日には「奥宮大祭」が行われ、山頂にツツジが咲く時季と重なることから、「つつじ祭り」とも呼ばれています。
宝登山の自然とともに参拝を
山の名が「宝登山」と呼ばれるようになったのは、弘仁年間(810~824年)のこと。山麓の泉から光り輝く宝珠が山頂へ飛翔したと伝えられ、それまでの「火止山」から、「宝の山に登る」という縁起のよい文字をあてた「宝登山」と表されるようになりました。
山の自然に囲まれた寳登山神社では、季節ごとに異なる景色を楽しめます。
「春は参道の桜、夏は新緑、秋は紅葉が美しく、冬は山頂に蝋梅が咲きます」と岩田さん。
また、寳登山神社は観光で訪れる人だけでなく、地元の人々にとっても身近な存在です。神社では毎朝6時に神様にお供えをして祈りを捧げており、それに合わせて参拝する地元の方もいらっしゃるそうです。
約1900年前から伝わる日本武尊の伝承をはじめ、さまざまな見どころがある寳登山神社。長瀞を訪れた際には、その由緒にも目を向けながら、ゆっくりと境内をめぐってみてはいかがでしょうか。
※祈願受付時間などは変更になる場合がございます。