1927年創業。モダンクラシックな佇まいにうっとり

「パリー食堂」がオープンしたのは1927年。創業当時の姿を残す木造の建物は、表面にモルタルやコンクリートなどの耐火素材で意匠を施した看板建築という様式。国の登録有形文化財に指定されています。

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入口に置かれた岡持ちバイクやガラスケースには年季の入った食品サンプル。どこを切り取っても絵になるレトロ感があります。アニメの聖地として他県からも人が訪れる秩父市内にあって、この気取らなさ加減はむしろ清々しいほど。

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店内は想像していた以上のレトロ空間です。コンクリートの床に昭和な柄のテーブルが並び、BGMはテレビの音。卓上にはメニュー表と調味料と箸立てという食堂然とした佇まい。一瞬で40年くらいタイムスリップしたような気分です。

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名物の「オムライス」(800円)と「ラーメン」(600円)を注文し、しばし店の雰囲気を静かに味わいます。

固焼き卵×ケチャップの質実剛健なオムライス

待つこと数分でオムライスが運ばれてきました。固く焼いた卵焼きでくるんだビジュアルは、店の雰囲気と同様に気取りのない昭和風。中身は大きめにカットした玉ねぎと鶏胸肉のチキンライスです。マスターに聞いた話では、味付けは昔からトマトケチャップのみ。流行りのふわとろ系とは真逆を行く質実剛健な一品ですが、ポテトサラダやフルーツが添えられていてとても華やかです。

「昔、テレビの取材を受けた時に、オムライスだけじゃ寂しいからってフルーツを山のように乗せたんだよ。それ以来、ずっとこの盛り付け。この方が派手でいいだろ?」とはマスター談。

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続いてラーメンもやってきました。目にした瞬間、「そう、こんなラーメンが食べたかった!」と叫びたくなるような懐かしいビジュアルです。「パリー食堂」のラーメンはスープも麺もすべて自家製。鶏ガラと豚骨に煮干しなどを加えたあっさり仕立てのスープが香る、ノスタルジックな一杯です。

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おじいちゃんと孫で繋ぐ94年目。心で感じる"おいしい気持ち"

お腹を満たしたところでマスターに話を聞きました。川邉義友さんは御年77歳。高校卒業とともにお母さまが切り盛りしていた「パリー食堂」に入り、50年間この厨房を守ってきました。

「親父がコックだったんだけど、早くに死んでね。お袋と親父の姉さん2人だけでやっていては大変だから、手伝おうと思ったんだよ」

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6人兄弟の末っ子として秩父に生まれ育った義友さん。「家族みんなで店をやっていたから、俺が何代目か分からないんだよな」と言いながら、1927年当時の店の写真とメニュー表を見せてくれました。当時は「オムライス35銭、カレーライス25銭、ビーフ テーキ(ビーフステーキ)50銭」など洋食をメインにしたレストランでした。かつて秩父銘仙という織物産業で栄えた秩父には日本中から商人が訪れていたため、このあたりには沢山の飲食店が軒を並べていたそう。

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時代が流れるとともに飲食店は次々と姿を消し、今では「パリー食堂」が最古参となりました。ホールを担当していたのは義友さんの孫にあたる晃希さん。調理師専門学校を出たあと都内で4年ほど修業し、2017年から「パリー食堂」の後継者になりました。

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「小さいころから店で過ごしてきたので、ここが僕の居場所だと思っています。後継ぎという感覚もないんですよね。祖父は高齢だし、『じゃあ次は僕がやるよ』という感じです」と晃希さん。

看板猫のパリ子にエサをあげなきゃ、と晃希さんが席を立った隙に「お孫さんが継いでくれるのはやっぱり嬉しいですか?」と義友さんに質問。言葉を発さずに目尻を下げるマスターのその表情が、すべてを物語っていました。

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秩父で94年受け継がれてきた「パリー食堂」の味は、義友さんと晃希さんの50歳差コンビでこれからも続きます。昔懐かしいオムライスを味わうもよし、ノスタルジックな空気を堪能するもよし、行けば誰もが忘れかけていた昭和の優しい空気を体感できることでしょう。

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